コロナ禍の中で迎えた今年のクリスマス。例年ならば、教会堂に集まり、『この人も主イエス・キリストの民のおひとりなのだ』と噛み締めながら、交わりを楽しみ、励まされるひとときを迎えます。しかし、今年のクリスマスでは、そのようなことが許されず、何かしら孤独感のようなものを覚えてしまいます。しかし、そのような中でも、主イエス・キリストによって、みなさんお一人おひとりと繋がっている。私は、そんな平安と喜びを味わわせていただける、コロナ禍の中でのクリスマスではないのか、と思うことにしました。『このようなときにも、私たちの中心には主イエス・キリストがいらっしゃる。そして、このお方からの平安と喜びを私たちはいただいている』と味わえる、いや、一層強く味わえる今年のクリスマスなのではないでしょうか。そうです。私たちは、そのように、主イエス・キリストというお方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けているのです。たとえ、『この先、いったい、いつなれば、この禍が終息するのだろうか?』などと光の見えないような時を迎えていても、「しかし、このお方がおられるから」との姿勢で、私たちは神さまから与えていただいた信仰によって、深い平安と喜びを手に入れています。そのような思いで、コロナ禍の中でも神さまが与えてくださったこの信仰を大切にし、ふさわしい生き方を続けていきたいと思います。
私たち罪びとの目には、「失くしたもの」や、「そこに無いもの」はよく見えます。でも、それとは反対に、「そこに置かれてあるもの」や、「すでに備えられている恵み」にはなかなか気づかないようです。しかし、教会の交わりの中心には、常に、平安と喜びを与えてくださる主イエス・キリストからの恵みが置かれています。そのことを感謝しながら、今年のクリスマスも平安と喜びを覚えながら過ごそうではありませんか。