日本長老教会 大阪キリスト教会 クリスマスメッセージ

クリスマスメッセージ

もし、主イエス・キリストがこの世に現れてくださらなかったのならば

クリスマスの季節を迎えました。12月6日は待降節(アドベント)の第二主日で、私たちはその日の礼拝式の中でマタイ11:7~19を読みました。そして、「もし、主イエス・キリストがこの世に現れてくださらなかったのならば、私たちはいったいどのようになっていたのだろうか?」と考えてみる時間を取りました。

冷たい牢獄の中で鎖に繋がれているバプテスマのヨハネ

この聖書箇所の前には、冷たい牢獄の中で鎖に繋がれているバプテスマのヨハネが自分の弟子たちを送り、「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか?」と主イエス・キリストに尋ねさせた場面が紹介されています。バプテスマのヨハネが託した、“主イエス・キリストへのこの伺い”は、実に弱々しく聞こえるものでありました。そこには、ヨルダン川の岸辺で、「罪を悔い改めなさい。救い主が来られるのですから、その備えをしなさい」と大声で叫び、多くのユダヤ人たちに“水による洗いの儀式”を執り行っていたバプテスマのヨハネの力強さや大胆さなどどこにもありません。彼は、今や、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに捕らえられ、冷たい牢獄の中に閉じ込められ、自分への処刑が近づいていることも感じているところです。それはまるで翼をちぎり取られた鳥のように、身も心も弱り果て、信仰の戦いのまっただ中で喘ぎ続けているような様子です。ところが、そんな彼の様子を知ったユダヤ人たちは、バプテスマのヨハネの弟子たちがその場から去り、帰途についたことを知って、「バプテスマのヨハネは、そんなにあわれな状態になっているのか・・・」と口々に語り始めました。また、「彼は本当に、主の預言者なのか・・・?」と揶揄しました。いや、それどころか、彼らユダヤ人たちはあわれな状態になっているバプテスマのヨハネのことを小バカにしたり、罵ったりしました。

バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした

さて、そんなガリラヤのユダヤ人たちの様子に、主イエス・キリストが怒りを覚えられたことは言うまでもありません。そこで、お語りになられたのが、「あなたたちユダヤ人は、いったい、何を見に荒野にまで出て行ったのですか?風に揺れる葦を見るために出向いたのですか?」(マタイ11:7)とのおことばでした。いいえ、それだけではありません。主イエス・キリストは立て続けに厳しいことばを続けられ、“あわれみ”ではなく“冷ややかな目”をバプテスマのヨハネに向けている彼らユダヤ人たちのことを、お叱りになられました。そして、多くの人々の前で、「よく聞きなさい」との意味を込め、「まことに、あなたがたに言います」とおっしゃられた主イエス・キリスト。それは、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」(マタイ11:11)と最大級の褒めことばへと続きました。そうです。バプテスマのヨハネとは、旧約聖書が語ってきた“大いなる預言者”(マラキ書4:5~6)。「その人を小バカにするとはなんたることですか!」と、主イエス・キリストは彼らユダヤ人たちを厳しく責められたのです。

背負って救い出す

それは、まさに、イザヤ書46:4に書かれていた、あの有名なお約束の通りのお姿でした。「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」とのみことば。また、同じく、イザヤ書42:3に書き記されていた、「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う」とのお約束を守ってくださった神さまの忠実さそのものでもありました。そうです。このように、人の心は離れ、冷たくなっていく中にあっても、「結んだ約束は必ず守る。いや、守り通す・・・」との行動を起こしてくださる神さまを主イエス・キリストがこの場面ではっきりと見せてくださいました。

闇の中で光となってくださるお方

今や、弱々しく衰えてしまい、まるで生気を失い、信仰までも失いかけそうになっているバプテスマのヨハネ。ところが、そのようなことは、何も、彼だけに限ったことではありません。強がったとしても、私たち人間は、所詮、このときのバプテスマのヨハネのように落ち込みやすく、不信仰になりやすい者たちでしかありません。そうではないでしょうか?ところが、そのように、信仰までも失いかけそうになっているバプテスマのヨハネであっても、彼のことをいたわり、励まし、支え続けようとしておられるお方がいらっしゃいました。それが、乙女マリアより生まれ、この世にお下りくださった“約束の救い主”イエス・キリストでした。この世は、このときのユダヤ人たちのように、ますます、愛から遠のき、寒々とした様相を示していきます。しかし、そのように、暗く冷たい世間であるからこそ、闇の中で光となってくださるお方が必要です。それが、聖なる神さまの御子イエス・キリスト。そんな希望を私たちは、この聖書箇所から学びました。これに気づいたならば、思わず、『このような神さまだからこそ拠り頼んでいこう・・・』と立ち上がらせていただけるのではないでしょうか?

聖書が語り伝えている”救い主”とは

悲しいかな、この世には、「栄えていた者たちはやがて廃れて行く」との定めが置かれているようです。「若い者たちもやがては老いていく」というのも、そのひとつです。しかし、主イエス・キリストはご自分の民一人ひとりをバプテスマのヨハネのように、最後までしっかりと支え通してくださいます。その”守り”は、「時の経過とともに、廃れていく」というものでは決してありません。むしろ、「時の経過とともに弱くなっていくあなただからこそ、わたしは今まで以上にあなたを堅く守り続けていく」とのみわざを現してくださる主イエス・キリスト。聖書が語り伝えている”救い主”とは、このようなお方。もし、このようなお方が、この世に現れてくださらなかったならば、私はいったい、どうなっていたのでしょうか?みなさんは、そのようなことに気づいておられるのでしょうか?

1ペテロ2:6

2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」

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