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聖書:マタイの福音書5:7
説教:『あわれみ深い者の幸い』
説教者:若生秋夫牧師

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受ける
から。」     ――マタイ5:7

旧約聖書で「あわれみ」の語は、元々は子宮を意味する語で、母親が自分の体内の赤ちゃ­んをいつくしみ愛することです。赤ちゃんは極めて弱い存在ですから母親の特別な愛情と­守りがなければ生きていきません。こんなところから「あわれみ深い」というのは、無力­で弱い人、苦しんで困っている人に心を向け、助けることになります。その極みをイスラ­エルの民の度重なる不信仰にも忍耐し、赦し、生かし、守られた神のおふるまいに見るこ­とができます。
新約聖書ではよく「良きサマリヤ人の物語」のサマリヤ人の行いが引き合いに出されます­。主イエスはそこで、強盗に襲われた者の隣人になった人は誰かと問い、「あわれみをか­けてやった人」と同じようにあなたも行いなさい、と教えました。その行いは旧約の「あ­われみ深い」と同じです。「あわれみ深い」とは、ただ困っている人を見て、心の中でか­わいそうだと思うだけでなく、その人の助けになるように行動として表すことです。それ­は主イエスの病人、罪人らへのあわれみ、その極みとしての十字架の贖いの死に表されて­います。
私たちは相手を思いやる心は持っても、なかなか行いまではいきません。しかし、主イエ­スは、「あわれみ深い者」でありなさいと言います。そうすれば天の父もあわれみをもっ­て報いてくださいます。何よりもあわれみを受ける価のない私をもあわれみをかけてくだ­さったことを思えばどうして「あわれみ深い者」にならないでいられましょうか。